青色申告会




 皆さんは「青色申告会」という言葉を耳にしたり、街なかで広告を目にしたりすることでしょう。


 しかし、一体どういうことをしている団体なのか、ということになると、多くの方にとっては「?」マークではないでしょうか。


 青色申告会に加入している事業者の方は別として、一般の方はご存じないでしょう。


 そこで、若干の説明をします。


 簡単に言うと、青色申告会とは「個人の所得税における青色申告を、全国に広げることを目的とする社団法人である」といえます。


 その会員数は、平成17年末現在で、100万人を超えています。


 活動場所は、独自の青色申告会館を持っている単位(下部)組織もありますが、地方の場合は特に、商工会議所会館あるいは商工会館の中に同居しているようです。


 さて、それでは次に、青色申告会の生成過程を説明します。青色申告会の生成過程は、日本の経済復興期と大きく関わりを持ち、またその時期に生まれ育ってきたともいえるので、その頃の背景から簡単に説明していきます。


 我が国は、戦後まもない昭和22年、課税方法が大きく変化しました。


 というのも、それまで賦課課税方式(納める税額が税務官庁の処分により確定する方式)が採用されていたのですが、その多くが申告納税方式に変更されました。


 申告納税方式というのは、その名の示すとおり、納税者が自分自身で課税所得を算出し、それに基づく申告書を税務当局に提出・納税するという制度です。


 まさに民主的で、理にかなった制度だといえます。


 しかし、このような理にかなった方式も、当時の徴税現場では空回りし、「取る方」と「取られる方」との間では、熾烈な闘いが展開されていたのです。


 納税者の納税意識(タックス・モラル)の低さ、各税務署ごとにノルマが課されていたこと、あるいは当時はヤミ屋横行の時期であり経済が混迷していたことなどが手伝い、非民主的な徴税が行われていたようです。


 というか、経済情勢の悪さが徴税当局にそのような行動を採らせたのでしょうし、また立場上そうせざるを得ない過渡期であったように思われます。


 政府も、経済復興のために多額の歳入を必要としたのでしょう。


 ともかく、当時の税務当局の行動は、第1次大戦直後のドイツのようであったと考えられます。


 当時のドイツ財政裁判所の判事であった、エンノー・ベッカー氏が「租税法の第1目的は、金銭を、しかもできうる限り多額の金銭を調達することである」といって、ドンドン実行に移していった時期がありましたが、それとほぼ同じようなことが、戦後の我が国でも展開されていたものと思われます。


 これに対し、納税者側も負けてはおらず、徒党を組んで税務署と渡り合うことも幾度とあったようです。


 また、当時は権衡査案方式とか密告制度などという、今の日本ではとても考えられないようなことが現実に行われていました。


 そのような状況の中、昭和24年の初夏に、当時コロンビア大学の教授をしていたカール・S・シャープ博士が来日します。そして、財政史上有名なシャープ勧告が行われました。


 このシャープ勧告に基づき税制改正が行われたのですが、来日から約半年後の12月のことでした。

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